2016年12月31日土曜日

ハートの扉を開けること













2016年の最後の日
今年一年をふり返って
いろいろと思われる方がおられるでしょうが
後悔などは要らないのです



つねに今があるだけなのです



その今を歓び生きるには
ハートの扉を開けること
ただそれだけであり
それが最重要なことなのです



多くの人々が心を閉ざして生きています



固く殻にこもって自分を守ろうとしています



真実の自分の記憶から離れて
孤独を感じながら生きている方は
他者を怖れています



一つのいのちの愛でつながっていることなど
考えられもせず
人を見たら泥棒と思え
などといわれることを信条に
害を受けることを怖れています



その怖れが怖れることを引き寄せている
のを自覚せず
萎縮して生きているのです



無限なるものが
そういうのも体験したかったのでは
ありますが・・・・・



もう制限からおさらばしたいと願うなら
今すぐにハートの扉を開けることです



無限なる自分に帰還するのに
条件などはありません



準備も知識も要りません



所定の儀式も不要です



なぜなら
あなたは元々大いなるものであり
すべてのすべてと一つの神聖なる
存在そのものだからです



新たに達成してそうなるのではなく
あなたの真実そのものだからです



自分のハートを無視して
周囲や社会の雑音ばかりに
耳をそばだててきたのをストップし
自分自身のハートに向き合えばいいのです



あなたの内にすべての答えが
あるのです








2016年12月30日金曜日

どちらにしますか ?















すべてはあなた次第です



あなたが選べるのです



この世の集合意識に従って
無意識に生きるか
幻想を振り払って目覚めて生きるか
2つに1つです



騙された、裏切られた
酷い目に遭ったというような
ハラハラするドラマに
浸りきったまま行くか



真実の自分に目覚めて
のびのびと自由に羽ばたいて
歓び生きるのか



選択を迫られています



ドラマ中毒になり
肉体的快感から脱けられない
もっともっとという方は
堪能するまでとことん極めるのも
許されています



エゴはどこまでいっても
満足できないようになっていますが



エゴのままで満足できれば
真実の自分を見失ったままになりますから
それはありえないのです



充分に暴れてハチャメチャをやり尽くしたら
真の自分に戻るように
ボタンがセットされています



時間はないのですから
好きなだけ夢の中で遊べるのです



夢か現(うつつ)か幻か
と言われたりしますが
この現実は夢のようなものであり
幻でもあるのです



石は硬くて
壁に頭をぶつければ痛い想いをし
ナイフで切れば血が流れ
非常にリアルですが
幻想なのです



反対に寝ているときのほうが
真の次元にもどっていたりしますが
肉体的に目を覚ませば
ほとんど覚えていないのです



この現実という夢のなかで
あいつが悪い、社会が悪いと
他者のせいにして
重い足を引きずって生きるか



想念の投影にすぎないと見抜いて
エゴを放ち
軽やかに飛翔して生きるか
あなた次第なのです







2016年12月29日木曜日

明らかにすること













とてもとても大切な基本は
真実とエゴの違いをきちんと理解することです



これまで社会で一般的に起こってきたことは
エゴの活動であり
その中でのことは善いも悪いもなく
同じ次元内であり
上下・左右に揺れながら
ぐるぐると輪廻しています



孤高で高潔な人を目指すも
人格破綻に陥るのも
実のところ、同じ次元であり
制限された幻想世界をリアルに感じているかぎり
ほんとうの自分には戻れないのです



何度も何度もくり返し述べてきていますが
エゴは自分ではないのです



自分でないエゴをどうにかしようとしても
どうにもならないのです



エゴがエゴを矯正など出来ないのです



では、どうすればいいのか
ほっとくのです



エゴは自分ではないと明らかにして
超えるのです



被害者、加害者、お涙ちょうだいの
舞台でいるかぎり
どう転んでも50歩100歩なのです



悩みや苦悩、問題山積みのなかで
もがいても解決しないのです



本来は完全に調和していて
問題など皆無の存在が
エゴというツールで問題をつくりだして
不安や恐怖を感じたり怒り狂ったりする
体験をして
臨場感いっぱいで遊んでいるのです



悩みを打ち明けて傷を舐め合っていては
浮かばれないのです



相対世界にフォーカスし
対策を考えれば考えるほど
問題は増えるのです



問題があるという前提で向き合うために
増幅するばかりなのです



現状がどうあれ
エゴの思い込み、妄想が反映しているに
すぎないのですから
映写機になっているエゴをストップ
するしかないのです



相対の三次元世界は
鳥籠の中のような制限満タンの世界です



エゴは枠付けが大好きで
好んで籠の中で遊んできたのです



もうお腹いっぱいでスッキリしたければ
エゴという籠から出るのです



愛情あふれるエゴも
冷酷なエゴも実態はないのです



エゴではない本体は
愛そのもの光そのものであり
歓びにあふれ満ち満ちているのです








2016年12月28日水曜日

ほんとうに知ること














これまでの地球は
限定・限界を体験する場として
重い波動で共振することが
つづいてきました



そのため
真理に目覚めた少数の人々にとっては
とても生きにくく
迫害されたり抹殺されたりして
拒絶されてきています



けれども
現在に至り
地球は次のステップへと歩を移し
妄想ゲームはお終いにしようと
しています



地球自体の身体を震わして
不調和を調整し
かつ人々に目覚めを促しています



これまで地球人類は
暗黙の了解の上で
分離によるネガティブなゲームに
夢中になってきたのですが
もう、そのような妄想の夢を
終わらせる時となったのです



不条理も不調和も戦争も
一部の者の責任ではなく
みんながそのように仕向け
被害者や加害者となって対立し
闇という究極の体験を
味わってきたのです



自分は正しくて
悪いのは他者だといえる者など
だれもいず
みんなお互いさまであり
それはエゴなる幻影のはたらきなのです



エゴが起こす出来事は
非常にリアルに感じられますが
実際には実態がなく
転倒妄想が仮象として
現われているだけなのです



映っているスクリーンにのめりこんで
それと一体化してしまうために
にっちもさっちもいかないような
錯覚に陥って苦しんできたのです



それは誰かのせいではなく
体験したかったのです



ここに至ったわたしたちは
もう本当の姿にもどるようにと
促されています



自他を責めてはいけないのです



お互いに何重にも色眼鏡をかけ
その歪みで苦しんで(愉しんで)きたのです



真実の姿はだれもがすばらしく
無限なるものであり
歓びそのものです



差別も区別もいっさいなく
物質的に現われたものが
勝手にレッテルを貼っているだけです



本質は無色透明であり
それゆえにこそ
自由自在に千変万化となって
現われられるのです








2016年12月27日火曜日

限定から無限へ
















まだまだ大勢の方たちが
エゴのゲーム上で四苦八苦しておられます



もう、やってらんねぇ !
神も仏もあるものか
と悲鳴を上げてふてくされている方が
おられますが・・・・・
ぜ〜んぶ自分で望んだことなんですね



絶対、そんなはずはない
こんな酷いことを願うはずがないではないか
と思ってもムリありませんが
残念ながらというか
自分が望まないことは
けっして起こらないのです



よって被害者というのはゼロです



わたしたちというのは
ほんとうに凄い存在なのです !



自由自在で無限なる能力をもち
完璧な存在が
冒険心と挑戦意欲にあふれて
この不自由で限定された
相対世界に下りてきたのです



本来の精妙な波動のままでは
この波動圏では存在できませんから
低周波の波動に落として
真実を忘れた状態で
分離された意識で生きています



本体の意識からどんどん離れ
分離が生むありとあらゆる感情、想いを
味わって体験しています



わたしたちというのは
感心するくらいSMで
そこまでやるの〜と思ってしまいますが
やりたかったんですね



で、もう墜ちに落ちて
これ以上は食傷気味という限界まで到達し
この辺で限定のゲームを終え
みんなで真実の姿を現わしましょう
という段階に至っています



エゴが抱えている否定的な感情、想いは
自分のものではなく
分離世界でみんなが体験する共通の
妄想概念であり
自分ではないと放しましょう



エゴにフォーカスすることを止め
真実の本源にのみ目を向けるのです



そのひとつの方法として
自分はつねに光り輝く球体の中に存在する
とイメージしてみましょう



球体の大きさは
無限大でもよく
想像しうるかぎりの大きさ
あるいは心地よく感じられる程度でも
かまいません



そして
球体内はキラキラとした光の粒子が
いっぱいで
身体全体はつねに光に満たされ
浄化されフレッシュになっている
ことを感じましょう



ついでに
その光の粒子は
宇宙全体にあらゆるものに
放射して広がっていくことを
イメージしましょう



このシンプルな方法を
できるかぎり試みてください







2016年12月26日月曜日

毎日がバースディ













社会では常識という足枷があり
それから逸脱すれば
非常に生きにくくなります



それゆえ
多くの人々は、何かがおかしいと思えど
周囲と足並みを揃えて
自分を騙しだまし頑張ってきています



けれども
そんな生き方はとても疲れます



他者の顔色をうかがい
本音と建前で生きることは
負わなくてもいい重荷を背負うようなものです



自分を偽りムリをするゆえに
内側では不平不満が渦巻き
怒りや嫌悪や恨み辛みとなって
蝕まれます



そのような自分を見つめて
罪悪感やら自己卑下の感情に陥る方が
少なくありませんが
そのような自分は本当の自分ではないのです



それはこの相対世界で
生きていく過程で
背負い込んでしまった
自分のものではない幻想の荷物にすぎず
真実を知って、その気になれば
いつでも放り出せるのです



一喜一憂する感情がとぐろを巻いている
エゴを自分だと思いこんでいれば
放つことは出来ませんが
エゴは自分ではないのです



真実の自分は無限なるものであり
本来は自由自在なるもので
限定された籠の中で生きる鳥では
ないのです



自分は○○という名前で
職業は△△
出身は何処そこで日本人
等々の様々なレッテルのもとに
生きていますが
あらゆるレッテル、概念、信条
ありとあらゆる条件を外して
無にして
まっさらなのが自分なのです



過去も未来もなく今だけがあり
いいかえれば
過去も未来も今にあり
今だけがあります



まっさらである本来の自分を現わすには
過去を引きずっていては不可能ですから
朝、目覚めれば
Happy Birthday !
と、声に出しましょう



あなたは新たに生まれたばかりです



昨日のあなたではありません



こうであるべきなどという常識は
捨てましょう



さあ、今日はどんなあなたが現われるか
わくわく浮き浮きして
歓びに浸りましょう !



ほんとうの貴方はなにものでもなく
すべてであるゆえに
逆にいえば
無限の可能性を秘めているのです



何でも
やりたいことを
やってみましょう !



今、すでに満たされているのですから








2016年12月25日日曜日

クリスマス !















メリー・クリスマス !



クリスチャンでなくても
イエス様の実際の誕生日でなくても
商業主義でも何でもかまいません



お祝いしましょう !



美味しいケーキがあってもなくても
美味しいワインがあってもなくても
歓びましょう !



ここにこうして在ること



偶然などはなく
あなたはあなたであるように
わたしはわたしであるように



あなたの中心は
わたしの中心であり



あなたもわたしも
すべてが一つにつながっていて
いのちはキラキラと輝いて
歓びあふれている



いのちは
千変万化の彩りをもち
かつ純粋で透明なるもの



空のように
どこまでも広がり
中心で一つになって
すべてが溶け合い
かぎりないエクスタシーの
うちにある



メリー・クリスマス !



静かな永遠なる響きが
宇宙に満ちている








2016年12月24日土曜日

誰かのための人生ではない













地球社会という制限された世界で
人類はこれまで何重にも覆われた
見えない壁の中で過ごしてきています



肉体感覚で見えるものだけが存在する
と信じて疑わない方も多く
とてもとても狭い視野しかもたず
死ねば終わりと考えて
生きているうちが花だから
楽しめるだけ楽しもうと
思われる方が少なくありません



もちろん、楽しむことは大切で
それに異議はありませんが
肉体感覚だけを楽しませるだけでは
けっして満たされはしませんし
祭りのあとの寂しさとなったりします



一方では社会に役立つ人間にならねば
と考えるのが一般的で
周囲の人々が期待しているように
生きようとする方が大半です



ほんとうに心から自分の望むことをして
生きておられる人は少なく
他者に合わせて孤立しないように
社会からはみ出ないようにと
心を砕いています



社会の平均と足並みが揃っていれば
それで良しとして可もなく不可もなく
といった具合です



それでは
せっかく肉体をもって生きていても
非常に勿体ないことになります



他者に合わせることは悪くはなくても
それでは
ほんとうの自分を生きることにはならず
無念さやら後悔の念をもつことになり
けっして自他のためにはならないのです



大勢の方たちが他に良かれと思いながら
生きているにもかかわらず
世界がこんなにも混乱していて
不調和なのは
自分に正直に真実の自分を
生きていないゆえです



毎日を
心からの歓びで生きていなければ
それを反映する世界も
歓びあふれたものとはなりません



子のため
あるいは妻のため夫のため
自分の気持ちを押し殺して我慢して
がんばっても
期待した結果にはならないものです



我慢すること自体が
本来のいのちを生かすことにはならず
マイナスを伴うのです



わたしたちは
誰かのために生きているのではなく
本質である愛を味わい表現するために
この世に降下したのであり
その本質から外れて
相手に合わせて迎合しても
自他ともに生かすことにならないのです



周囲からどう見られようと
変人と思われようと
自分を偽らずにまっすぐ生きることが
肝心であり
それが至福への道なのです







2016年12月23日金曜日

張子の虎
















張子の虎ということわざは
主体性がない人や虚勢を張る人を
揶揄して使われています



自分はそんなものではない
と大半の方は思われるでしょうが
実のところは
真実の根源を忘れて生きている人間の
エゴは張子の虎のようなものです



エゴは根絶やし状態にありますから
威厳を装っていても真の自信の裏づけがなく
その根底には不安と恐れが潜んでいます



地位やら肩書きやら名誉に拘る方たちは
そのような箔を付けておかないと
素のままでは自信がないのです



やたら威張る方は
劣等感の裏返しであり
虚勢を張っていないと身が持たないのです (www)



空(くう)である自覚がないエゴは
真の自信を欠き
他者の評価を気にし
よく思われたいと願います



どう思われるか
どう見られるかが重要で
どうありたいかという意識が薄いのです



エゴの思惑に振り回される人生は
真の人生を生きているのではなく
虚勢の奴隷になっているともいえます



豪邸に住み
高級車を乗り回して
贅沢三昧できる身分であっても
それらは真の自己とは関係ないのです



あらゆる虚飾を取り払ったあとに残る
純粋無色なる本体に
どれほど根差しているかが重要なのです







2016年12月22日木曜日

あらゆるものは仮初なるもの















あらゆるものは仮初(かりそめ)なるものです
いかなるものも現われては消えていきます



仏教でいう無常ということですが
いわゆるニヒリズムとは異なり
実在の否定ではありません



形あるものは変化変滅し
固定されたものはないということであり
空(くう)に還るものであり
形なきものとして永遠に存在しつづけます



この根本的な認識の欠如が
人間として生きる上で様々な苦悩を
もたらします



すべてと繋がった磐石な土台の上に
存在するにもかかわらず
それを知らずして
根源を無視するため
いのちのエネルギーを充分に取り込めず
気と叡智の不足で
エゴは右往左往することになるのです



この世に生まれた直後から
真理を把握していない親や周囲から
誤った導きを受けて
土台そのものが誤っているため
どんなに努力をしても
真に満たされることはなく
はかなさや無力感に襲われる方たちが
少なくありません



どんなにお金を稼いでも
人が羨む地位についても
名誉や賞賛を得ても
真実の自分に気づいていなければ
けっして歓びは湧きあがらず
心底、嬉しくはならないのです



自分の根が
万物の根とぴったりと一つになっている
自覚がもてなければ
何をやっても
何を達成しても
真の歓びからは遠いのです



逆にいえば
万物と一つである自覚のうちにあれば
何をやってもやらなくても
何の所有がなくても
歓びである至福のうちに存在できるのです







2016年12月21日水曜日

行為ではなく・・・・・















大勢の方たちが勘違いされていることは
善行を積めば、それなりの見返りがあると
信じていることです



もちろん、悪行よりもいいのではありますが
見返りを期待する想いというのは
純粋なる愛ではなく
ビジネスマインドということになり
期待はしばしば裏切られることになります



その象徴的なケースが
ちらほら耳にする
「こんなに尽くしているのに報われない」
という吐露のことばです



その言葉が如実にその方の心情を表しています



真実の愛には計算などなく
ただただそうしたいと願うのみであり
こんなに尽くしているというような
気持ちとは無縁なのです



母親の子に対する自然な想いは
子どもの健やかさ、幸せを願うばかりで
こんなに尽くしているのだから
将来、報いてほしいなどとは考えないものです



幸せであってくれれば
それでよく、幸せなのです



それと同じく
どんなに立派な行為をしても
その心情により雲泥の開きがあるのです



億万長者が
ケチと思われるのがイヤで
1億円の寄付をしたとしても
その動機ゆえに、天地は喜ばないでしょう



それよりも本人は
その行為自体に歓びを感じられないでしょう



他方
貧しくて充分な食べ物がなくても
他のお腹を空かせている人に
半分あげれば、天地は喜ぶでしょう



そうすることで
後からいいことがあるに違いない
などと期待した上であれば
話は別ですが



以前にアフリカの某国を旅した折
乗り合わせたバスの中で
隣に座った方に声をかけると
その人は一瞬のポーズのあと
食べていたお弁当をサッと差し出しました



わたしは驚きとともに感激しました



そのお弁当が欲しくて声をかけたわけでは
ありませんから、辞退しましたが



見るからに貧しそうな身なりで
日本では見かけないくらい痩せていて
充分に食べていないのでは
と察せられるような方でした



わたしも太ってはいませんが
その方より肉付きはいいのです



どこでも天使のような方がおられるものです



肌が黒くて、表情はにこやかでは
ありませんでしたが
外見ではなく
その自然な優しさに嬉しくなりました



普段はにこにこしていて
親切な言葉をかけてくれても
いざとなれば豹変する方がおられます (www)



それも自分を守りたいがための振る舞いであり
その方の心境を察すれば
非難などは出来ません



みんな自分の心情は隠せるものではなく
行為そのものよりも
そのハートの在りようが肝心なのです







2016年12月20日火曜日

愛と感謝













肉体を持ってここに生きてあることは
数知れない人々の恩恵を受けています



すべてを自給自足して完全に独立して
暮らしている方はほとんどおられず
分業という形でお互いを補い合っています



日々の衣食住がまかなえるのは
大勢の人々のお陰です



食べ物を作ってくださる方
物資を運んでくださる方
お店で必要品を販売してくださる方
お掃除をしてくださる方
等々ときりがないほどの人手のお陰です



接触する人々や物にも
つねに感謝をし愛で触れるなら
歓びでないときはありません



ハートを閉じて殻にこもり
内から流れあふれてくる愛を出さなければ
相手もそれなりの反応を示します



相手の態度などかまわないのです
無愛想だったり横柄だったりしても
それをそのまま観ずに
本質に焦点を当て、内奥の神聖さを
観透すのです



何時でも何処でも
愛と感謝だけにフォーカスしつづけるのです



それほど歓びをもたらしてくれることは
他にありません







2016年12月19日月曜日

歓びの内にありつづけること














いかに生きるべきかに関しては
膨大な著書があり
各宗教はそれに特化して道を説いていますが
あまり成功を収めていません



社会的な影響力が大きい宗教組織が
いくつかありますが
組織の上部者たちは物質的に潤い
パワーを持っていても
各信者たちは真の幸福にはほど遠いような
状態にあるようです



各宗教が真実の道を説き
その通りに実践しているなら
地球はとっくに平和になり
人々は幸せになっているはずです



ところが
各宗教組織のパワーとはうらはらに
世界はどんどん混乱し
困難と苦悩に喘いでいる方たちで
あふれています



それらの事実は
他者や外部に期待して依存しても
真の幸福には導かれないことを示唆しています



救われるためには
多額の寄付をしなければならないやら
信者を勧誘しなければならない等
冷静に考えれば
非常におかしな要求を突きつけられながら
それをまともに受け取る方たちが
少なくありません



多額の寄付をしなければ救ってくれない
神さまって何ですかね ?
お金が必要な神さまなんて (爆)
神さまって言えないのですが・・・・・



信者を勧誘して得しているのは
組織の所有者であって
救われたいがために勧誘しても
その功徳などはないのです



また、誰かの説を信じて実行しても
なかなか期待通りにはいかなかったりします



要するに
外部に依存しても
自分を満たせないのです



イエス様やお釈迦さまのような
真実の師はめったにおられず
師もどきとしか言えない方が大半です



それゆえ
師を求めてさすらっても
すんなりとはいきません



けれども
そのような期待は脇におき
自らの内に入りこめばいいのです



あらゆるものに例外なく
漏れなく真実の種が潜んでいます



自分のような業深い者は
などと言われる方がおられますが
そんなことは関係ないのです



エゴはエゴにしか過ぎず
エゴは自分ではないのです



自らの深奥には厳然と神聖なる本体があり
それと再結合すれば
いかなる状況にも関わらず
歓びがあふれてきます



あなたの求めるゴールは
最初からあなたの内にあり
あなたそのものがゴールであり
空(くう)であり無限なる存在なのです



歓びの内にありつづけることは
空(くう)なる本質の開花であり
それ以上に出来ることはないのです







2016年12月18日日曜日

寛ぐこと













競争社会に組み込まれてしまっている人間は
心底、寛ぐことが難しくなっています



心底、寛ぐには
想いが過去や未来に飛んでいては適わず
今になければ
心は落ち着いていられません



過去を悔い、未来を憂えていれば
この瞬間を逃しつづけて
エネメギーが漏れ、気力が萎え
元気であることが困難になります



競争社会ではつねに他者との比較下にあり
緊張を強いられ
頑張りつづけなればならない
という強迫観念に晒されています



それは支配者都合の洗脳であって
寛げないようにされているのです



テレビのCMはあの手この手で
視聴者を魅了して
無くてもいいような物を買わせるように
仕向けています



大衆を物欲やら名誉欲で煽り
けっして安心することがないようにと
操作されています



巧妙にうまく乗せられていて
本来の人間性からは乖離した生き方をしている
ということに気づかないようにされている
という事実に気づかないでいます



そんな骨が折れるばかりで
歓びも幸せも感じられないような
生き方からは脱けたいものです



わたしたちは
必死に社会的な何かを達成せずとも
本来、存在そのものが尊く神聖であり
豊かに生きられるようになっているのです



人間の手に侵されていない自然を観察すれば
わかりますが
調和したエネルギーの循環があり
無条件なる愛が根底に流れています



人間も自然のルールに沿えば
難なく生かされるようになっています



公害や弊害をもたらすエネルギーではなく
無害なフリーエネルギーが
周囲に満ち満ちています



本来はお金など必要なく
誰もが豊かに幸せに生きられるはずが
真実が一般から隠されて
隷属するように仕向けられてきたのです



人為的な不安や焦燥感に煽られることなく
静かに自分を見つめて
寛ぐことが大切です



宇宙は偶然によって成っているのではなく
無条件なる愛、大愛がその根底にあります



恐怖や不安は要らないのです



いつでも愛と光が注がれていて
無条件に愛されています



どうぞ、安心して寛いでください



あれこれ煩わずに
いのちそのものに委ねるのです







2016年12月17日土曜日

何ものでもないこと













何ものかであろうとすることは
特定の考え、思考、概念を保持することになり
真に自由ではありえなくなります



わたしたちの真実の姿そのものが
何ものでもないのですから
何ものかであろうとすること自体が
限定を課し、不自由となるのです



相対世界の中で
もう散々、不自由を体験したのですから
限定的思考、感情から離れ
本質の無色透明にシフトすることが
望まれます



まだ、もっと相対のゲームを続けていきたい
というなら、それも受け入れられていますが



人間は感情の動物といわれ
感情をコントロールすることは困難ですが
コントロールするのではなく
そのまま認めて手放すのです



感情をどうにかしようとしても
どうにもならないことを知り
感情そのものが自分ではないことに気づき
一体化しなければいいのです



真実の自分は無色透明
形なき永遠不滅の存在であり
いかなる不足もなく
満ち満ちているのです



それは何ものでもないゆえに
すべてであるのです







2016年12月16日金曜日

妄想からの解放














目の前に現われて見えているものは
一時的な仮象であり
それに執着すれば苦の因となります



小さいときはあんなに可愛かったのに
今じゃあ・・・・・なんて
よくありますね (笑)



出会った頃は優しかったのに
今じゃあ・・・・・なんてことも
普通です



イケメンも崩れますし
逆にパッとしない、冴えない風貌
などと見える方もおられます



そして
人間はいろいろと品定めをしますが
あらゆる外見は仮象であり
真実のままに現われているのではありません



年老いて皺だらけの外見になれば
老人というレッテルのもとに
判断を下しますが
真実の存在としては若者も老人もなく
美醜の違いもありません



あらゆる現象は想像による創造物であり
そのときの現われに過ぎません



現象を現わしているエネルギーそのものは
形なく不変不滅であり
神聖なるパワーです



その真実をつねに忘れず
いかなる現われをも判断を下さず
意識を根源にのみ向けていくのです



人々の仮面に惑わされることなく
真実なる本質を直視するのです



そうすることで
真に望ましい創造が可能となるのです







2016年12月15日木曜日

本質は不変なるもの














人々の不幸は本質を見失っている
点にあります



人間だから嫉妬や好き嫌いがあって
当たり前ということを肯定すれば
相対世界の牢獄からは
脱けられなくなります



嫉妬も好き嫌いも憎悪も
人間の本質ではなく
それらは誤った観念の上に立つ妄想であり
本質は何をしようが、些(いささ)かの
影響も受けないのです



いったん本質を思い出せば
嫉妬や憎悪にかられることはなくなり
感情的なトラウマから
解放されやすくなります



嫉妬すまい、憎悪すまいと
無理にコントロールして抑えるのではなく
もはや、そんな気は起きなくなります



本質に気づいて
無条件に愛されていることを
実感できれば
飢餓感は消失し、満たされた
至福の内にあることができます



そうすれば
相対から絶対へとシフトでき
自縄自縛の鎖は断ち切られ
苦から解放されるのです








2016年12月14日水曜日

ただただ核心のみを観る














わたしは失敗したことがない
ただ、1万通りの
うまく行かない方法を
見つけただけなのだ



というエジソンの有名な名言があります



とても頷ける言葉であり
どんなにマイナスと思えることも
ムダではないということです



それゆえ
いかなることも否定的に見る
必要はないのですが
いつまでも苦痛や苦悩を通して
学んでいかなくても
わくわくとした歓びの内に生きられれば
それに超したことはありません



わたしたちは苦痛や苦悩を体験することが
目的ではなく
本来の愛なる存在としての開花を
楽しみにきたのですから
本質から外れていることに
囚われないことが肝要です



いろいろな波が立ち
嵐が吹き荒れたりしますが
それらに巻き込まれないように
注意するのです



意識を変化変滅するものに向けて
いちいち反応すれば
平安ではありえなくなります



つねにただただ核心にのみ
意識を向けていくのです



そうすれば
根源からのエネルギー、パワーが
滞りなく届き
歓びをベースに創造していけるのです








2016年12月13日火曜日

根源からの癒し
















この世に生きていて傷ついたことのない人は
いないでしょう



明るく天真爛漫に振舞っていても
心の奥にトゲが刺さっていたりします



エゴの潜在意識に積み重なっている
苦い想いはキレイに浄化されないと
至福に至ることは困難になります



多くの人々が癒しと浄化を求めて
あちらこちらの門をくぐりますが
なかなか思い通りにはいかないようです



ごく少ないようですが
本物のパワーをもち癒せる方がおられますし
パワースポットなる聖地も
勿論それなりの援けになります



けれども
最終的には自分自身であり
機が充分に熟していなければ
どんなに癒しのバワーを浴びても
その場を離れると
元の木阿弥となってしまいます



自分が求める状態は
これから新たにそうなるのではなく
すでにそうであることを
思い出すことなのですから
外部への依存を断ち
ひたすらに内側の不変なるものに
意識を向けていけばいいのです



いのちは愛であり光ですから
根源に想いを向ければ向けるほど
愛が湧きあがり自ずと癒されていきます



その根源からの癒しは
何時でも何処でも可能なのですから
高額なお代を払わなくても
安心、安全、真性、神聖なるパワーを
浴びられるのです







2016年12月12日月曜日

完全燃焼













世間ではやらないで後悔するよりも
やって後悔するほうが良い
と言われています



まあ、その通りかもしれませんが
物事にもよるでしょう



はっきり言えることは
中途半端なやり方では
満足は得られないということです



石の上にも三年と言われますが
ちょこっとやってみて
すぐに諦めてしまっては
何事も成就しないでしょう



真実においては何も達成しなくても
完全完璧ではあっても
現象界では創造するために生きていますから
なんでもすぐに放棄すれば
創造はできなくなります



いかなる事に対しても
誠心誠意を尽くし、情熱を傾ければ
それに見合った結果が得られます



気もそぞろでいい加減なやり方では
成果は得られないでしょう



誠心誠意というのは愛をこめることであり
わたしたちは愛を表現するために
この世に現われていますから
とても大切なことです



濡れ手に粟で儲けたいというのは
本質にもとることであり
愛であり光である自分を
生かすことになりません



どのような事にも情熱を傾けて
完全燃焼すれば
そのこと自体がいのちを活かしますから
結果がどうあれ構わないのです



全存在を注いですれば
そのこと自体が歓びであり
後悔などの湧き出る隙間がありません



いい加減で中途半端であれば
いのちを活かせず不完全燃焼のため
不足や不平不満が生じ
想いが残り、執着から離れられません



一生懸命すれば疲れると思い
力を出し惜しみするなら
やはり不完全燃焼しかできなくて
満足が得られるはずがありません



自分がやりたいと思うことは
全身全霊を傾け完全燃焼すれば
道は自ずと開けるのです







2016年12月11日日曜日

個人的なことの放棄














真実の自分に帰還するには
個人的なことに拘泥していては
叶えられません



体験したあらゆることに囚われ
感情的なトラウマに囚われていては
それが障壁となり
空(くう)なる根源とのパイプが
100パーセント開かれません



感情的なトラウマというのは
今生だけのものではなく
過去世からのすべての体験を含んでいて
DNAに記録されていますから
浄化は一朝一夕とはいかないですが



真摯に絶対的な覚悟で取り組めば
誰にも可能なことです



誰にとっても元々の自分に還ることですから
そんなに手間取ることではないはずです



ところが
なぜそんなにも手古摺(てこず)るのかといえば
長年親しみ骨身に沁みこんだエゴを
なかなか手放せないゆえです



愉快も不愉快も含めて
感情的に思考するクセは放ち難く
それが真実の自己の発現を阻んでいます



エゴによる妄想・幻想の
自己および世界というのは断ちがたく
岩のごとき堅固さで立ちはだかっています



とはいえ
それらは妄想にすぎないと
看破して手放せばいいのです



すべてである自分が本物なのですから
個人的なことを放棄すれば
本物に還りやすくなります



そして
個人的なことを放棄すれば
逆に個人的なこともスムーズに
運ぶようになるのです






2016年12月10日土曜日

いつでもお帰りなさい













自分本位な支配者たちの権力が取り除かれれば
世の中は良くなるだろうと
心待ちにしている方たちがおられるでしょう



それが間違いというのではありませんが
それでは他者任せになり
ほんとうの自分として生きることを
先延ばしにすることになります



くり返しますが
宇宙は自分を投影していて
宇宙の中に自分があるというより
自分が宇宙を創造しているのです



それゆえ
待つということは
今を逃すことになり
エネルギーを漏らすのです



過去も未来もなく
言い換えれば過去も未来も今にあり
今しかないのですから
今、真実の自分であろうとすれば
すべてがOKなのです



真実の自分はつねにいつでも存在していて
どのような状態のときであれ
いささかの影響もなく存在しています



エゴにより崩壊するものではなく
純粋完璧な自分が
永遠に存在しているのですから
一瞬も延ばすことなく
その自分 = 内なる根源に戻ればいいのです



空(くう)なる根源はいつでも
懐を開いてあなたの帰還を
待ち望んでいます



いつでもお帰りなさい
なのです






2016年12月9日金曜日

特別であろうとすることの不毛さ













人間は本質的に愛であるゆえに
無意識にも愛を求め渇望しています



何を為しても為さなくても
存在そのものが尊くて神聖なるものですが
その真実を忘れているために
特別な存在になろうとします



地球世界全体が競争原理で支配されていて
何かを達成して
存在価値を証明しなければならない
という想いに煽られるようにされています



お膳立てされたレールに乗れない者は
落ちこぼれなどと見なされます



本質的な尊厳性など
まったく無視されているために
大多数の人々が
外部から見える何らかで
欠乏感を埋めようと躍起になっています



それではどんなに足掻(あが)いても
欠乏感を埋められず
苦悩や焦燥感が増すばかりになります



いろいろな機器で生活が便利に
なればなるほど
人々は穏やかさを失い
いらいらや怒りに晒されています



他と比べて特別であろうとすることは
本質と乖離することであり
エゴを肥大させるばかりで
けっして歓びや幸福感をもたらさないのです



他者から賞賛を受けて得意になり
優越感をくすぐられるかもしれませんが
至福とは相容れないものです



自分が特別であるなら
例外なく誰もが特別であり
優劣も上下もありません



誰もがすべてであって
空(くう)なるものと一つであり
愛なる光なる存在なのです







2016年12月8日木曜日

そのままでOK

















わたしたちの本質は完全であっても
この世界の現われは不完全ですから
皆がなんとかしようと頑張っています



その何とかしようとするのは
外への働きかけであり
それではどんなに頑張っても
改善されないのです



皆が良かれと思ってすることが
功を奏さず、世界はどんどん崩壊中であり
行き詰まりのピークのような状態です



では、どうすればいいのかとなります



外への働きかけで頑張るのを
止めるしかないのです



外への働きかけでは
真の解決にはならないのです



真実の自分を知らずに闇雲に頑張るのは
土台を築かずに建物を建てるのと同じなのです



大多数の人々がそのように頑張ってきたのです



もう、それではにっちもさっちも行かないのです



それゆえ
現象世界の現われに対しては
いっさいの判断を下さず
内側に目を向けるのです



外に対しては何もできない
エゴでは何も解決できないと知り
バンザイ= 全面的お手上げをして
内に向かうのです



わたしたちの根源は空(くう)であり
すべてのすべてであって
元々満たされています



その根源に委ねてしまい
何が起ころうと判断せずに
淡々と受け入れるのです



いいも悪いもなく
好き嫌いも関係なく
感情的な判断からも離れて
あるがままそのままをOKしていくのです



自分の思考や感情への拘りが
弊害であることを知り
そのままでOKすれば
新たな天地が開くのです


2016年12月7日水曜日

エゴは不完全














あなたは完全完璧ですということは
真実のあなたのことであり
あなたが自分だと思っている
あなたのことではありません



自分だと思っている自分というのは
個別のエゴであり
エゴはどんなに頑張っても
完全完璧ではありえないのです



根源とのつながりを忘れて
限定的な思考しかできないエゴは
自他の区別、比較、損得、等々から離れられず
高尚な願いを持ったとしても
完璧ではありえません



ヒマラヤやキリマンジェロが
世界の高峰だと誇ったとしても
宇宙から観れば何ほどのこともないように
エゴ中心で生きている人間は
高徳だの低劣だのと比較しても
50歩100歩なのです



真実の域には相対などなく
ただただ一つであり
現象をああだこうだと論(あげつら)っていては
本質は見えないのです



肉体を有して生きるかぎり
エゴは必要ではありますが
ツールとして使うのではなく
エゴに同化してしまっている点が
問題を生むのであり
エゴ(人格)を磨いても本物にはなりません



まず、自分はエゴではないと知ることが
肝心要であり
人格や性格がどうのこうの
学歴があるなし
博学だの無知だのと
比較をしてもはじまらないのです



あらゆる概念や定義など無関係で
存在そのものは完全完璧であり
定義を超えて存在しているのです




2016年12月6日火曜日

お花畑












能天気でおめでたい発想傾向にある人々を
揶揄して頭の中がお花畑などと言われています



尊敬の念はこめられていず
バカにされていたり呆れられたりしています



芳しくない評価がこめられているわけですが
脳内がお花畑であることは
一概に否定されるべきことではありません



現状をちゃんと直視せず
支配者たち都合のプロパガンダを
そのまま信じてしまうような
安易なお花畑では後から反動が起こる
かもしれませんが



あらゆることを弁(わきま)えた上での
お花畑なら、真に歓び生きられ
至福のうちに過ごせます



現実とあまりに乖離していて
ぶっとんでいますと
これまでの常識を鵜呑みにされている方たちは
ドン引きして、指をクルクル回されたりしますが



すっかり洗脳されている方たちには
真実は想像外のことであり
ほとんど聞く耳をもたない傾向にあります



けれども
それぞれがそれぞれの道を歩んでいるのであり
優劣などではなく
個々に真実に目覚める機があります



ゆえに
他者の状態を心配したり
お節介をやく必要はなく
絶対安心で思いっきり
お花畑であればいいのです









2016年12月5日月曜日

許すことのミラクル














すべての根源である空(くう)は
けっして波立つことはなく
平安にして満ち満ちています



(くう)から湧き出ずるエネルギーを
自由に使える人間は
様々なものを作り生きてきましたが
本質に反することも許されているため
動植物や地球そのものにまで
負荷を与えてきています



宇宙の創造においては
唯一ともいえるルールがあり
与えたものが与え返されるということです



それがカルマとも呼ばれるものですが
本質を忘れてエゴの想いで生きていれば
負のカルマは増えるばかりで
借金が雪ダルマ式に増えるようなものです



その因果応報をきちんと清算しなければ
ならないとすれば
いつまでも清算できず
借金を負いつづけることになります



それでは三次元で生きる人間は
ほとんど救われなくなります



ここに許しという大きな働きがあり
すべてあらゆることを含めて
自他ともに許すことが出来れば
愛と光のミラクルで
積み上がった膨大なカルマも
速やかに溶かすことが可能になります



(くう)は愛一念であり
すべてを包み許しています



自ら出したものがブーメランのように
戻ってくるというのがルールではありますが
結果が返る前に全面的な愛に溶けこんでしまえば
エゴから切り離され
カルマを超えられるのです



自他の正邪に囚われて苦悶するよりも
あっさりと一切の過去を放して
自他を許してしまえば
楽で軽やかで浮き浮きの人生を送れるのです







2016年12月4日日曜日

愛は自然なるもの













かつて某国に滞在していた折に
小さなアリを観察していました



夏になれば、日本でも一般的に見かける
タイプです



それほどの数ではなく
パラパラと何匹かが移動していましたが
その内の一匹がわたしの足に這い上がってきたため
指先で軽くはねました



傷つける意図などまったくなかったのですが
なんと針金よりも細い足の2本が折れ
歩けなくなってしまいました



もっと注意をして扱えばよかったのに
済まなさで心が痛みました



なんとか回復するようにと
祈りながら見つめていると
そのアリに気づいた仲間の一匹が近づき
どうしたの大丈夫 ?
と気遣いながら触れたり押したりしだしました



けれども   
足の折れたアリは動けず
しばらく時間が過ぎました



すると
数匹のアリたちがやってきて
その傷ついたアリをみんなで担いで
巣と思われる処に戻っていきました



わたしはその光景に
「おぉ〜 !」
と感動してしまいました



また、数年前に下記のビデオを目にして
涙が止まりませんでした



あらためて
あるゆる存在の根底には愛があることを
示唆してくれます



A Sad Cat Trying To Revive its Friend ):







2016年12月3日土曜日

形なき存在
















わたしたちの本質は空(くう)であり
形なく一つのゼロとして存在します



形がありませんから壊れることなく
永遠不滅であり
ありて在るとしか言えません



そのような空(くう)が
愛という本質を具現化させるために
宇宙を創造したのです



肉体を有したわたしたち一人ひとりは
その愛の表現者であり
色とりどりに自由に創造するように
任されています



根源である空(くう)とのつながりを
忘れることなく
愛と歓びで創造活動するなら
世界全体は調和し愛と光にあふれた
ユートピアとなるでしょう



ところが
地球人類は本質に反する体験を求めて
エネルギーを屈折させ
苦悩に満ちた体験をくり返すように
なってしまっています



本質から外れた想念でいつづければ
当然、不愉快であり
怒りや憎悪をつのらせ
真の自分ではない状態に縛りつけてきたのです



そのような舞台を提供しつづけてきた地球は
負のエネルギーに汚染され
本来の愛と光に満ちた体にもどるべく
浄化活動を粛々と進めています



個々のわたしたちも
これまでの体験は妄想による
ドラマに過ぎないことを知り
形なき存在としての本源にもどり
新しく生き直すことが求められています









2016年12月2日金曜日

信じるように・・・・・














世界は不条理に満ちているようですが
自分が信じるように展開しています



現象世界は絶対的なものではなく
想念が投影されたホログラムですから
自分が観る世界は
自分の思考が映しだされます



人間の真実は愛と光だと聞いても
そんなはずはないと思えば
愛と光からは遠いような
人間たちに囲まれます



愛だなんて何言ってるの
甘いわねぇ・・・・・
という意見の方は
それなりの厳しい状況が
展開するでしょう



わたしたちは一人の例外もなく
宇宙の創造者ですから
意のままに想像し創造しているのです



思った通りになどならない
と思われる方は
思った通りになどならない
というような世界を体験しています



裏を返せば
すべて思った通りなのであり
気に入らない環境であっても
自分でつくりだしたのです



イライラすること、ムカつくことも
自分自身の反映として生じるのであり
そんなはずはない
他者や周囲のせいだと思いこめば
けっして負のスパイラルからは
脱けられなくなります



人生は自作自演
監督者であり創造者であると
潔く認めることが出来れば
真の自由への道に沿えるようになります