「恩讐の彼方に」という
菊池寛の小説がありますが
恩讐を超えることは非常に難しいことです
自分の子ども(親)が
殺されて亡くなった場合
その犯人を赦すということは
容易にできることではありません
人情として同じ目に遇わせたいと
願ってもムリからぬことです
その無念さ慟哭は
本人でなければ分かりえないでしょう
それを承知であえて申し上げれば
その恨み心のままでは
自分も子どもも救われないということです
如何なることも偶然には起こりえず
必ずゆえあって起こります
被害を受けてみての体験を
意識上では分からなくても
したかったのです
深く深く洞察することなしに
目には目をとくり返せば
いつまでもその体験から学べず
負のスパイラルというマトリックスに
囚われたままになります
加害者も被害者もなく五分五分であり
お互いの因と縁がマッチして
ものごとが起こるのです
わたしは死刑に反対でも賛成でもありません
死刑の実行により
自他ともに救われることもあれば
そうでない場合もあります
死刑は物質的肉体を消しますが
肉体の死、イコール存在の死ではありませんから
本質部分の破壊ではありません
殺されて肉体的な苦悩から解放され
歓びとともに羽ばたける方もおられます
ケースバイケースなのです
大切なことは
そのような障害に遭遇して
如何に乗り超えるかということです
一般的に言われている通り
本人が乗り超えられる以上のことは起こりません
胸が張り裂けるほどの苦悩であっても
必ず癒されます
真理という道理を知ることにより
より速やかに癒されることが出来ます
真理により恨みから解放されるからです
日本人の精神年齢はかなり低い
という定評があります
では、外国人は高いのかといえば
疑問ではありますが
一般的に西洋人のほうが自立心が強い
という傾向が見られます
まあ、一概には言えませんが
年はとっても、ちゃんと大人になっている方は
多くはないようです
子どもでも
成熟した大人のような子もいて
大人度というのは年齢に関係ない
ともいえます
本来、年齢というのはないですし
いかつい強面(こわおもて)のおじさんでも
幼児性が脱けない方は珍しくありません
要するに乳離れできていないのです
きついことを申し上げますが
地位や名誉に執着し
虚勢を張りたがる方は
幼児のままなのです
人間の幼児は他の動物と異なり
全面的なケアがなければ
肉体的な生命が保てません
普通は母親が面倒を見
できるかぎりの愛情を注ぎます
子どもは食べ物のみならず
親(周囲)の愛を受けて成長します
食べ物だけを与えられるだけで
愛による接触がなければ
おそらく真ともには育たないでしょう
愛を受けて成長すれば
長じるほどに自分も他を愛することが
出来るようになるはずなのですが
残念ながら
今日の日本社会はいびつになっていて
自然な愛が発露するのを妨げています
そのため
いつまで経っても愛を与えるのではなく
愛が欲しいという欠乏感が
胸底に停滞しつづけ
様々な形でそれを埋めようとしています
恋人ができれば満たされるだろう
お金がもっとあれば幸せになれるだろう
有名人になれば満たされるだろう
○○を達成すれば幸せになれるだろう
という具合に
外部に求め期待を抱いてしまい
まず自分が与えるべきだと気づけずに
欲しい欲しいと求めるばかりで
けっして満たされないのです
大人になれない方たちは
幼児のときは要求しなくても
与えられますから
そのまま精神的に成長できずに
欲しい欲しいという想いのまま
年齢を重ねています
幸せというのは
自然な愛の発露が湧き起こり
周囲を愛さずにいられないという状態であり
物質的な所有の有無ではなく
地位名誉のあるなしでもありません
真実の自分に気づければ
状況の如何にかかわらず
歓びがあふれ
愛に満たされるようになります
大人として成熟することにより
活き活きと歓び生きられるのです
究極の真実そのものであること
宇宙と一体であること
その気づきのためには
無分別であることが必須です
悟りのために切磋琢磨するのもありですが
人格を磨き、高潔であることを目指し
行いを正しても
それで悟れるかは別なのです
究極の真実は
倫理や道徳の範疇にはないというか
超えているのです
一般的には勧善懲悪ということが
すんなり受け入れられ
それゆえ「水戸黄門」のドラマは
1969年から2011年までの長期にわたり
放映されて根強い人気がありました
筋書きはワンパターンでも
勧善懲悪というのは人々にアピールし
悪い奴らは成敗されるのだという展開が
大多数にとって共感し頷けることだからです
そのような勧善懲悪に
もちろん反対するのではありませんが
正義感に凝り固まったままの頭では
真実は思い出せないのです
悟りが起こるのは
高潔かそうでないかは関係なく
無私ということが基本になり
無分別であることが必須なのです
自分の価値観で
あれは良い、これはいけない
等と分別していては
真実は観えてこないのです
自分は特別だと思う優越感も
障害になりますし
恨みつらみは最大の障害のひとつです
すなわち
エゴが引き起こしている現われに
捉われたままでは
真実は判らないのです
エゴがどうであれ
現われている人間がどうであれ
存在の核は純粋なる意識であり
愛であり光なのです
それは無分別であることにより
気づけるのです
自他のエゴの現われに拘泥していては
真実に及ばないのです
外の出来事は静観し
静かに自分を感じてみましょう
いっさいの現象は
どれほどリアルに思えても
思考がつくりだした幻想であり
実態はなく、変化変滅していきます
ただ在るのは意識であり
意識がさまざまに宇宙というスクリーンに
ドラマをくり広げているのです
正邪はなく、ドラマが展開しているのであり
意識は無条件にそれを見守っています
すべてが一つから現われ出たのであり
拒絶する何ものもなく
愛でつつんでいます
如何なるものであれ
存在するものの根底には愛があり
愛なくして存在はないのです
卑劣、残虐で獣のよう・・・・・
な現われは、エゴという愛を否定した
妄想の結実であり
真実を反映していないのです
いっさいを脇に置き
あれこれの想いをストップして
無条件に愛されていることを
感じてみましょう
肉体の両親やパートナーではなく
あなたの真の親である
空(くう)なる根源、無限なる存在が
あなたをつつみ愛していて
一瞬たりとも目を離すことはありません
それを感じてみましょう
両親やパートナーは
あなたから去ることがあっても
真の親は
宇宙創造以前からあなたと一つであり
慈しみが消えることはないのです
この世で生きている人類に共通の目的は
真実の自分の開花であり
その道は千差万別であり
だれも同じ道を辿ることはありません
共通していえることは
エゴから解放されること
あるいはエゴを浄化し尽くすことが必要で
そのプロセスは個々に異なります
種々の苦悩がエゴから脱する
触媒のはたらきをしますから
苦悩も役立つものですが
人によっては
それほどの苦悩に苛(さいな)まれなくても
高い境地に自然に達する場合も
あるようです
生まれつき素直で
その性質が成長過程で損なわれず
あまり苦悩することなく
真理を把握してしまうということが
稀に起こります
過去世で散々修行を積んだ
体験値の高い人もおられますし
経験の差により理解度も異なります
とはいえ
それぞれの人は
その人にとってのベストの環境を
与えられていて
どのような状態であれ
真実に対して真摯に意識を向ければ
必ず目覚めが起こります
元々、完全完璧なものが
肉体を伴う体験をしたかったのであり
永いプロセスの間に本源を忘れるという
ことが起こってしまったのであり
忘れているだけで
けっして一瞬たりとも切り離されることはなく
いつでも目覚めて帰還できるのです
他者と比べて
自分は惨めな状態だとしても
その現在の現われに囚われてはいけないのです
今、現われていることは
済んでしまったことであり
どうでもいいのであり
且つ、ベストに導かれています
今の意識そのものが次の瞬間を創るのですから
外部の世界を超えた根源に
つねに意識を投入しつづければ
いいのです
わたしたちが求めているものは
すべてわが内にあります
多くの人々がそれに気づけず
外部にばかり求めています
悟りを求めるにも
師を求め、あるいは聖地を求めて
彷徨します
それはムダにはなりませんが
究極的には答えはわが内からやってくるのです
師は道を示したり暗示を与えたりできますが
真実は言葉を超えていて
ほんとうに解かるには
自らすでに持っている種が開花しなければ
ならないのです
固く閉じた種を
師は刺激することができても
開けることはできないのです
エゴのかぎりを尽くして力尽きるとき
エゴは鼻っ柱を折られて無力感に襲われ
降参して頭(こうべ)を垂れたとき
恩寵として開花するのです
それは言葉にはならず
全身が光に溶けたような解放と
歓喜のさざ波つつまれます
死は形態の変化に過ぎず
恐れるような死は存在しません
ホログラムとはいえ
肉体をもつ体験は尊く貴重であり
いつ如何なるときも
愛なるエネルギーが注がれています
エゴで麻痺した意識が
そのエネルギーを阻止して
不調をきたしているのです
目覚めれば
宇宙は愛で満ちあふれているのです
大多数の人々は平和を望んでいます
にもかかわらず
地球上では常に大なり小なりの
戦争が起こりつづけています
自分の利益のために戦争を起こしたい者は
おそらく1パーセントにも満たない
と思われますが
どうして99パーセントの大多数の人々が
争いに巻き込まれてしまうのでしょうか
なぜなら
真実ではない常識を真実のように
思い込まされて
洗脳されているという自覚もなく
競争社会の歯車に組み込まれ
不安と恐れをベースにした
日常生活を余儀なくされているゆえです
敵対する国と国との背後には
同じ支配者がいて
それぞれを争わせることにより
利益を得るというシステムになっています
事実を知らされない民衆は
対立国に憎悪をつのらせるように
煽動されていて
争いが止むことがないように
コントロールされているのです
日本ではマスコミにより
嫌中、嫌韓になるようにミスリードされています
そのような状況下においては
人々は仮想敵国に憎悪を募らせ
怒りや不安を覚えるようにしむけられていて
心中、平安ではありえないように
されているのです
それゆえに
いくら平和を望んでいても
胸中では不安や恐れや怒りが渦巻いているために
争いが尽きないのです
世界を平和にするには
まず、自分の内側が平和でなければ
外部に平和は訪れないのです
そのため
すべての人々に共通の必要なことは
わが内を平和にすることです
内なる葛藤や怒りや恨みを抱いたままでは
けっして外界も平和にはなりません
抗議や要求をする前に
まず、わが内を静め
平和で穏やかで愛にあふれる状態にする
ことが肝要なのです
それには
真実の自分に気づき
愛そのもの光そのものの存在であることを
思い出さねばなりません
日本人の日本人らしさが消えて
損得勘定が頭を占める日本人(?)に
日本は覆い尽くされて
日本はメチャクチャなようですが・・・
これからは
日本人とか外国人とかの区別はなくなり
地球人あるいは宇宙人として
宇宙に羽ばたいていくのです
ここは我が国の領土で・・・・・
な〜んてのは、もう古いのです
ゆうことを聞かんかったら
容赦せんぞ !! な〜んて台詞は
時代遅れもいいところ
化石化した頭の持ち主は
隔離された舞台に移ることになります
美味しいものは独り占め
自分だけたらふく食べて
自分だけ着飾って
他人はどうでもいいどころか
搾取の対象としか見ていない役割の方々は
もうほとんど任務を終えられています
それらのお陰で気づきを得
目覚めたものたちは本質を開花させて
あらゆるものが歓び生きることができる
世界の創造へと踏み出しています
宇宙という舞台は
地球人のみならず多種多様の生命体が存在し
あるものは見守り
あるものは秘かにサポートの手を伸べて
くれています
究極の存在は
形も色もない純粋なる意識であり
それが本当のわたしたちですが
創造という活動に勤しんでいます
形あるものは現われては消えていくのであり
根底にある愛は永遠不滅であり
時も空間も超えているのです
地球は本当に永い永い間
相対の対立舞台を提供しつづけてくれ
わたしたちを支えつづけてくれました
これからは
調和した楽園となり
愛にあふれた世界が展開していくのです
思考がパワーを持つように
祈りはすばらしい力を発揮します
真の祈りは個人的な欲望成就の願いではなく
いのちへの感謝であり
あらゆるものへの感謝です
お賽銭をあげたので
願望を叶えてね
というのとは違います
万物への感謝と
本質に沿った宣言であれば
どのように称えても構わないものですが
わたし自身はだらだらと長い宣言より
短い祈りがフィットします
わたしは光です
わたしは愛です
すべてとひとつです
すべてに感謝します
すべてを愛しています
愛しています
愛しています
愛しています
ありがとう
神さまありがとう
ハートからつねに湧き上がってくるのは
神さまありがとう
です
これまで
様々な体験をしていますが
フト、なんでこんなこと・・・・・
なんて意識が空(くう)の中心から逸れると
赤信号で車を止めているのに
後ろから追突されたことがあります (^^;)
軽く当たっただけで大事には
至りませんでしたが
ちょっと余計な想いを出しただけでも
結果がすばやく現われます
日常の想いのあり方が如何に大切か
ということです
うちの三匹の猫ちゃんたちは
わたしに始終からみつき
スリスリするだけでなく
わたしに撫で撫でするように
際限なく要求するので
嬉しい悲鳴をあげています (^^)
片手間でとか楽して儲けたい
というような怠惰な気持ちが
誰の中にも潜んでいます
そのような怠惰な気持ちが
実を結ぶことはなくて
期待は外れてしまいます
怠惰であることと
ゆっくりリラックスすることとは
本質的に異なり
リラックスすることはとても大切です
緊張と緩和が適度に交互に起こるのがよく
弦のように張りっ放しですと切れてしまいますし
緩々だと使いものになりません
昼と夜があるように
物質界で生きているわたしたちには
睡眠というリラックスの時間は必須です
とはいえ
睡眠状態は人それぞれであり
寝ている間に異次元ではたらく人もいますし
辻褄の合わない夢を見
現世の願いの本質から外れているものを
浄化するときでもあります
いずれにしても
緊張を緩めるときが非常に大切ですが
人生においては真摯でなければ
何事も成就しないのです
これは矛盾したような話になってしまうのですが
どちらも本当なのです
常々、何も達成することはなく
元々、完全完璧な存在だといいながら
真摯でなければ何事も成就しない
なんて言うのはおかしい
と指摘されそうですが
実際にそのまま、そうなのです
あらゆる存在があるがまま
完全完璧というのは本当です
その一方、創造主の意を受けて
創造者として存在している個々は
降下してきた次元において
本質を開花して創造するという
ミッションがあるのです
その場合には
真摯でなければ成就しないのです
あれやこれや気を散らしていては
エネルギーが分散し結実しないからです
深刻になっては逆効果ですが
真摯であることは必須要件であり
好きなことは寝食を忘れても打ち込めるように
興味のないことをムリしてする必要はなく
心底望むことを真摯に打ち込めばいいのです
この心底望むことはもちろん
自他ともに生かすことになる
愛に裏打ちされていることとなります
地球上で生きている大多数の人間は
輪廻転生しながら長きにわたって
洗脳されたまま生きてきています
本質とは異なるものであっても
その記録がDNAに刻まれていますから
潜在意識の奥深くに巣食っているため
真実の話を聞いても信じられず
過去世からの反応が顔をだします
それゆえ
一般常識なるものは易々と信じられても
真実に対しては一歩も二歩に引いてしまい
とうてい信じられないか
ほとんど興味が湧かない方が大半です
他方
どうすればお金持ちになれるか
どうすれば不労所得を得られるか
どうすればモテるか
等々の現世利益に関しては
いの一番に飛びつく方が大半です
宗教は嫌いな方が多い一方
現世利益を全面に押しだした宗教団体は
ご利益を期待する者たちが群がり
商売繁盛して
教祖が甘い汁をたっぷり吸い
信者は貢ぐちゃんになっています
会社も宗教組織も国家も
それぞれに人参をぶらさげて
人々を体(てい)よくこき使っているのです
弱肉強食が自然の法則だと思い込まされ
競争社会で見えない鞭をふるわれて
それにシッポを振っているのです
自由意志などほとんど押さえこまれ
組織や国家に使われて
ちょっぴりの見返りを得ています
大自然が与えてくれる水や空気や食べ物は
本来、無料のものであり
お金など出さなくても
すべてのものに行き渡るはずのものです
その大自然に逆らって
一部の者たちが搾取する人工的システムを
つくりあげたのであり
それに大多数が盲目的に隷属して
糊口を凌いできたのです
本来のわたしたちはもっと自由であり
歓びから創造できる能力を有しています
無限ともいえる能力を蓋してきたのであり
本来性を発揮できない人間は
歓びから遠く、その捌け口として
他者をいじめたり、悪口を言ったりして
いらいらを一時的に解消しています
そのような負のスパイラルから脱けでるには
やはり真実の自分に気づく以外になく
他者にシッポを振るような存在ではなく
宇宙の創造者であり尊厳ある存在であると
お肚の底から納得することが肝心なのです
何度もくり返しますが
いのちは一つであり
存在するものの根源は唯一です
わたしたちは唯一のいのちが分かれたものであり
兄弟、姉妹であり
見ず知らずの人であっても
赤の他人などはいないのです
それゆえ
本質においては何ら違いがない存在ですが
個としては皆が異なっています
同じなら分かれた意味がなくなります
支配者に洗脳されてしまった人間は
異質を嫌いますが
異質でなければ壮大なる創造はできません
だれも他に合わせる必要はないのです
対立すれば不調和になりますが
他を妨害しないかぎり
自分の好きにしていいのです
ところが
社会の風潮はそうではなく
長いものに巻かれる右へ倣えが浸透していて
はみ出さないように他に合わせる我慢を
強いられています
自分の好きにできず我慢すれば
ストレスが溜まって当然であり
うつやら病気やらが蔓延しています
上司に逆らえば首がとぶ恐れがあり
部下は渋々でも従います
そのような在りようは不自然なのです
不自然なものはそのまま長くはつづきません
必ず、軌道修正されていきます
各自が自らの内なる願いに従うことにより
自他ともに生かされるのですから
だれも他者に指示をだす権利などないのです
お金のためにこき使われるというのも
不自然なことであり
そのような社会は消えていく運命にあります
社会常識がどうであれ
大切なことは自分を偽らないこと
それにより、はじめのうちは不利益になっても
自分に正直であれば天地が味方となり
必ず、道が開けます
あなたは宇宙の創造者なのです
昨日はとても厳しいことを書いてしまいましたが
地上では浄化のための破壊が
あちこちで起こっていて
大きな被害が生じています
人類全体の意識度によりますが
地球そのものが雲散霧消するほどの
破壊は避けられるはずです
けれども
自然からの大小の警告を無視しつづけ
自らの内奥からのサインも無視しつづけて
生命を傷つける行為をつづければ
傷つけ合う世界を造りだし
そちらに移行させられるでしょう
火山の爆発、地震、津波、洪水、竜巻、等々
地球の活動はとても活発で
膿を出し切る浄化が進んでいて
次元上昇まっしぐらです
だれも住めなくなった低次の地球が残され
高次の地球と分かれるのか判りませんが
そんなことを心配する必要はありません
大事なことは外部の現象ではなく
自分の真実を見つけること
それに尽きるのです
自然界 : めちゃくちゃ
政界、経済界 : はちゃめちゃ
ですが・・・・・
そんなことは気にせず
放っとくのです
抗議の声を上げたところで
火に油を注ぐようなもので
解決にはなりません
調和を破るものは
自ら崩壊へ向かうのですから
かってに消え去るのです
地獄のようななかにあっても
自らの本源の光に意識を向けること
本源の光は一瞬たりとも途絶えることなく
あらゆる存在を貫いています